枯れ葉掃除

美しい紅葉の木が我が家にはある。

毎年、赤や黄色の紅葉の美を見せてくれるが、その後の枯れ葉の掃除がスゴイ。

庭一面が、赤や黄色の葉で埋め尽くされる。

そして、それが、ジョジョに枯れ葉となって、地面に吸収されていく。

土を豊かにして、また、春に新たな芽が芽生える。

最初の一年は、自然だからっと全部ほっておいたが、そのままにしておくと、庭が、きのこ畑、春には、雑草畑になってしまうということに気がつき、次の年からは、秋、こまめに掃除するようになった。

せっせと庭の掃除をするたびに、なんとなく自然と自分の人生をたまに重ねて想像したりすることがある。

自分の人生が、紅葉の木であれば、枯れ葉は、人生の悩み事、そして人生を豊かにしてくれる活性剤。

枯れ葉という悩み事があって、それを解き放ち、それを肥料にして、また、新たに美しさを奏でる。

今年も枯れ葉掃除をしながら、心がスッキリとして、気持ちが落ち着いた。

来年はどんな年になるかな?

そんな事をすでに考えたりもしている。

2020年もあと一ヶ月半。。

時がすぎるのは本当に早い。

過去の写真

子供達がまだ幼かった頃、私の最大の楽しみは、写真撮影だった。

子育てで忙しい日々、たった一杯のコーヒーをゆっくり飲むことですら出来ない。

何か自分のやりたいことをしようとしても、必ず中断が入り集中出来ない。

子育てにイライラし始める自分。。

何が出来るだろう。。。

そう考えて思いついたこと。

自分のやりたいことを、子育てに向けよう。。

そう思ってはじめたのが、子供達の写真撮影だった。

子供達を毎日おいかけ、愛おしいと思う瞬間を、携帯におさめては、日々、楽しんでいた。

当時は、こういった写真を、プライベート設定で、SNSに、ちょくちょく投稿していた。

特にいいなぁっと思う写真は、親戚や家族、友人等にシェアすることもあった。

そして、ここ最近、そういった写真が、思い出写真として、画面に登場してくる事が多くなった。

これが物凄く嬉しい。

昔の写真なのに、今の自分にも、日々、幸せをくれる。

ある過去の写真をツイッターに投稿した。

長男と次男が手をつないで、私の目の前を歩いている写真。

後ろ姿をパシャリと撮影したものだ。

”長男が自閉症と診断されて葛藤していた時期。

辛かったけど幸せな瞬間もたくさんあった。

今は幸せな瞬間しか思い出せない。

長男と次男、二人で仲良く手をつなぐ姿が微笑ましくて愛おしくて思わずパチリ。

7年前の今日の投稿らしいけど、今日もこれで幸せもらった^_^ ”

人間の脳というのは、不思議なものだ。

過去であろうが、現在であろうが、自分が幸せだった瞬間につながるモノを見ると、幸せになれる。

そう思うと、過去の幸せな瞬間の写真というのは、未来の自分も幸せにしてくれる嬉しい積立なのかもしれない。

また今日も幸せな瞬間をカメラに収めたいと思う。

自己実現について思うこと

人間のモチベーションピラミッドトップは自己実現。

それを聞いて思ったこと。

自分にとって自己実現って何だろうって思った。

自閉症児を育てながら様々な人を見てきた。

救ってくれた人もたくさんいる。

その学びを生かして自分に誇りが持てる人間であり続けたい。

自分の発信を見て、元気をもらったっていうコメントをいただくことがある。

とても嬉しいし、ありがたいなって思う。

自閉症児の子育てを通して、たくさんのツラい経験もしたし、落ち込むことも、たくさんあった。

この経験を通して学んだことは、すべてが大丈夫だって事。

人生にマルもバツもないということ。

何が良いとか悪いとか、そういうモノって結局、誰かが決めたことで、それが正しいとか間違いとか、実は存在しない。

悩みや苦しみって、結局、そういった、周りから受ける、こうしなければいけない、自分は、こうでなければいけないっという執着から現れるモノだと思う。

今の時代は幸せだ。

生理的欲求、安全欲求、社会的欲求が全て満たされている。

それが満たされていないのであれば、声をあげれば、助けてもらえる環境が整っている。

その環境が整っていなければ、問題とされる社会のプレッシャーが存在する。

それを思ったら、やっぱり幸せだと思うし、悩んで生きるのはもったいないって思う。

今日は晴天、紅葉がきれいだ。

こういう瞬間に酔いしれる事が出来る自分っていいなって思うし、妙な話、誇りに思う。

これも自己実現かなぁ。

アメリカ大統領選挙

知りたいと思えば瞬間に何でも学べる今の時代は面白い。

政治詳しくないけど、アメリカ大統領選挙を少しフォローしてみました。

SNSの面白いところは、その瞬間、たくさんの方々が、自分の知識と意見をシェアしてくれるところ。

そこから瞬時に、なんの知識がなくても、そうなんだって納得出来る環境が整ってしまうのです。

どんな情報でも、知識でも、自分は、わからないからっと、諦めなくても良い時代。

情報はあちらこちらに転がっている。

ちょっと自分の疑問を検索するだけでいいんです。

大統領選挙のフォローは、主に、Twitterを使いました。

本当に面白かった。

各州の開票発表が行われる度に、呟かれるバイデンさんの支持者の声、そしてトランプさんの支持者の声。

お互いのどうして支持するのかという声や過去のニュースのリンク。

立候補者本人達の生の声。

どんなに政治の知識がなくても、こういった声を次々と聞いていたら、なるほどなぁ。。と納得出来るところが凄い。

素晴らしいと思ったのが、人々が情報をシェアする中で、これは、おかしいとか、どうしてこうなったのか理解出来ないっとか、皆がお互いに、疑問をぶつけ合って、論議しているところです。

その情報が正しい情報なのか、お互いに、チェックしている。

情報が、一方通行ではないのです。

悪い事は出来ない世の中になってきているなぁ。ふと思いました。

どんなに上手に嘘をついても、皆が、その嘘に、瞬時に気がつける情報が溢れているのです。

ただ世の中には、それに気がついていない人が、未だに多い。

テレビや雑誌等の一方通行の情報を、素直に、そのまま受け止めている人が多いような気がするのです。

気がつく人々が増えていくのは、時間の問題。

大統領選挙、もう少し追ってみようかな。笑

キメハラについて思うこと

アニメ映画の公開でますます話題になっている鬼滅の刃ってアニメ。

ホラー系が得意じゃないので、第一話ですぐ消しました。

一緒に見ていた子供達も何これ?こんなの日本で人気なの?気持ち悪い。。。の一言で終わり。

環境の違いだと思います。

日本のアニメを否定するわけではありません。

日本のアニメって良い作品もたくさんありますよね。

それぞれの好みがありますから、それで良いと思います。

ただ気になっていたのが、日本の友人から入ってくるメッセージや日本の動画。。。

このアニメは素晴らしい!絶対に見るべき!

どこか国民全員が何かに取り憑かれているよう。。

皆がそうしているから、自分もそうするべき。

私のように、血まみれの残虐シーンを見ながら、気持ち悪いと思う人は、たくさんいると思う。

そう思いながら、皆についていくため、我慢している人がいるのだとしたら、それは、本当に悲しい事。

このアニメをキッカケに、日本のアニメ業界は、いつかNETFLIXを制覇するだろう!!と誰かが誇らしげに語っていた。

ここまで国全体が盛り上がっていると、違う意見なんてとても言えないだろうなぁって思った。

自分も日本に住んでいたら、取り憑かれていたのかもしれない。。

ふと思った。。

アヒムサって言葉を初めて聞いた

先日のある私のツイート。

自閉症児の親になるってキツさは半端じゃない。

今思うとぬるま湯人生からいきなり氷の池に落とされた感覚。

冷たい目線しか感じない。冷たい人っているんです。

だけど温かい人もたくさんいる。

それが見えてくるとキツイけど人生なんとなく得しているような気分になります。

感謝ばかりの人生になるから。

たくさんの方が共感してくださいました。嬉しかった。

ぬるま湯人生だと思えたのは、常に自分に自信があったからかもしれないって今は思います。

母親、子育てなんて皆やっているし、私にだって出来るでしょっみたいな考えが、どれだけ、あまい考えだったのか。

妊娠して出産して母親になるってこんな大変な事だと思わなかった。

日々そう思いながら、自分なりに試行錯誤していました。

そして、長男が自閉症と診断された時。

私の今まで築き上げてきた自分に対する自信というものが崩れていきました。

まわりの子供達が簡単に出来ている事が長男にはまったく出来ない。

それどころか、奇妙な行動にはしり、周りの視線を集める。

自閉症という未知の言葉に戸惑い、検索すると、ある掲示板グループの書き込みが目に入りました。

自閉症に対する明らかな差別と偏見を連ねたコメントが、たくさん書かれてあり、瞬間、ゾッとしたのを覚えています。

自分に自信がなくなっていたから、そういう冷たい言葉が目に入るし敏感になっていたのかもしれません。

氷の池。冷たい言葉と視線。。

でも、落ち着いて目をひらくと、行動してみると、少しずつ温かい気付きや出会いに恵まれるのです。

温かい出会いに恵まれると、自分もそこから学べるし、成長できる。

今まで味わったことのない深い感謝の気持ちが、たくさん自分の中に芽生えてくるのです。

人生ツラいことってたくさんあります。

ある方が自分を大切にしてください。アヒムサ(暴力を振るわない)という言葉を紹介していました。

他人だけでなく自分にも深い愛情で接する事。自分に暴力を振らない。自分をいじめない。

いい言葉だなって思いました。

親になるとついつい子供の為にと自分に無理をさせがち。

今度は、自己愛に試行錯誤かな。

海外生活の生きやすさと流行

海外生活の生きやすさって何ですかっと問われて流行が頭に浮かんだ。

流行を追わなくても全然OKだということ。流行がある意味マイノリティー。

日本に帰ると何故か外に出かける時ユニクロを来なければいけないプレッシャーを感じる。

これが海外では当たり前だからっと以前は気にしていなかったけど、大人になるにつれて、それが日本での生活というか、日本のマナーみたいに思えてきて、帰国の際は日本っぽい格好というものをするようになった。

今はネットですぐに日本の流行が検索出来るし、ユニクロが海外進出していてありがたい。

日本への里帰り一週間くらい前に、ユニクロ店舗に行って、あっ、これ全部くださいっとマネキンを指差してお手軽購入することもあり。気に入ったら、色違いで数着買って、帰国準備終了!笑

それが嫌だとか不快だとかは思わない。ある意味、面白いと思う。

しかしながら、同時に、これが日本でいう、生きにくさに、つながる考え方なのかもしれないと思った。

流行なんてコロコロ変わる。それに合わせて毎回、服をコーディネートするって、それが好きであれば、もちろん良いが、私は、昔から、あまり興味はなかった。

学校で、女子同士が集まって、ファッション雑誌を広げ、お互いにお気に入りのコーディネートを選ぶ。それが、休み時間の過ごし方だった。

ワイワイ会話を楽しみながら、これいいんじゃないっとかテキトーに自分も選んでいたけど、何か物足りなさを、いつもどこかで感じていた。携帯、インターネットの存在しない80年代。

子育てに関しても、もしかすると、日本には、流行みたいなものが存在するのかもしれない。

こういう子供を育てるべき、こういう育て方が理想。たまにそういう動画をネットで見かける。

育て方のアイディアとして、提案するのはいいけど、”べき”という言葉は、たまに人を追い込む事がある。

子供は、皆、違う。それぞれの子供にあった育て方が存在し、様々な教育方法を、それぞれの子供に合わせて、カスタマイズしていくのが、私は、理想だと思っている。

流行っていうのは、誰かが決めた提案。好きであれば、取り入れればいいし、気に入らなければ、取り入れる必要はない。

海外では、それが当たり前。だれも否定しないし、だれも流行遅れとか、ダサいとか言わない。

でも、私は、日本に帰国するたびに、その当たり前を通す事が出来ない。

いつか日本に帰国した際、その当たり前を通しても、全然大丈夫そうじゃんって、思える日が来るのかなぁ。

だけど、きっと私は、また、帰国前にユニクロを買うと思う。

来年の春には、里帰り出来るかなぁ。。

英語が話せるようになるには?

英語は、どうすれば話せますか?

よく聞かれる質問です。

90年代初期、ワタシの場合、英語は、勉強というより、ほぼ好きの延長でした。

洋楽が好きだったワタシは、当時、人気があったボーイズバンドの曲の歌詞を覚えて、何度も一緒に歌っていました。

テニス観戦が好きで、当時人気だったヨーロッパのテニス選手のインタビューの声を聞くのも好きでした。

実際に海外に出て、英語で話すキッカケが出来た時、常に心がけていたことがあります。

積極的に、沢山の人に、チャンスがあれば、自分から話しかけること。

話しかければ、話しかけるほど、次は、どうやって話しかけよう、質問にどうやって答えよう、何を聞こう、何を話そう。頭の中で、自分の考えが、まとまっていきます。

最初は、考えがまとまった後、そのアイディアを、日本語から英語に訳すとういう形でも構いません。

しかしながら、その行動を繰り返すうちに、自分の考え、価値観にピッタリの好きな英単語、好きな言葉が、増えていくのです。

好きな言葉が増えれば増えるほど、話したいことが増えてくる。自分の価値観が英語で語れるようになる。

インターネットがない時代は、これは、海外でないと、ほぼ不可能な行動でした。

話す相手に会うチャンス、キッカケがなかったからです。

しかしながら、今は、SNSというツールがあります。

一人に話しかけるという行動の代わりに、今は、SNSを使って、いつでも、どこからでも、常に、英語で、たくさんの人に、時によっては、大勢に、一挙に話しかけることが可能になったのです。

自分の好きな共通の趣味を持っている人、自分と同年代の人、同じ考えを持っている人、そんな人を、前もって選択して、話しかける事も可能です。

つながりが出来れば、ネットを使って話すことも出来ます。つながりが、難しければ、オンラインで、会話練習が出来るサービスもたくさんあります。

凄い時代だなぁって思います。

優雅な時間って何だろう

自分にとって優雅だと思える時間についてふと考えた。

あるお金持ちの方が、つぶやいていた。

お金は持っているけど、暮らしが優雅じゃないんだ。

贅沢と優雅は違う。限られた人生時間を優雅に使いたいんだよ。

その方の優雅だと思える時間は、私には、わからない。

でも、自分にとって、自分が、過去に優雅だなぁって感じた瞬間を思い出してみた。

私は、日々、一日の中で、常に、幸せだなって思う瞬間を見出すようにしている。

結局は、そういう幸せの瞬間の積み重ねが、優雅じゃないかなぁって、思えてきた。

昨日の幸せの瞬間は、子供達を学校からピックアップして、帰りに歩いた森林の小道。

秋晴れの、本当に、気持ちが良い午後だった。

子供達が、笑いながら、楽しそうに小道を歩いていく。

眩しい太陽が、スーッと森林の木々をすり抜けて、私達を照らす。

その瞬間、幸せだなぁ。優雅だなぁっと心から思った。すごく単純。。笑

その後、少しだけ、庭掃除をした。前日の強風で落ちた葉っぱを集めて、ヤードバッグに詰めていく。

夏の間、キラキラ輝いていた緑の葉が、秋色に変わり、そして地に落ちていく。それが、また、土へと代わり、新しい命を育む。

自然はいい。自分の心を、豊かにしてくれる。幸せにしてくれる。優雅にしてくれる。

気持ちが沈んでいる時でも、自然の中にいると、自分が、単なる自然の一部であって、周りで起こっている事は、どうでもよくて、すべてが大丈夫だと思えてくる。生きている。人生楽しもうっと思えてくる。

人生は、最大の暇つぶしっとも誰かが言っていた。

暇つぶしかぁ。。

優雅に過ごしたい。。。

ゲームのボイスチャットで思うこと

オンラインゲームがどんどん子供達の社交場になっている。

ゲームをしながら、ボイスチャットをオンにしておくと、他のゲームで遊んでいる友達が声をかけてくる。

なんのゲームしているの?

ユーチューブ見ているんだ。この動画、面白いよ。

こんなTIKTOK見つけた。

新しいゲームが入っている。ちょっとダウンロードして、一緒にやってみようよ。

コロナをきっかけに、我が家の次男も、友達と一緒に待ち合わせをして、ボイスチャットをしながら、ゲームを楽しむようになった。

会話の声を聞いているだけで面白い。まるで、その子供達が家に遊びに来ているようだ。

私もたまにボイスチャットに向かって声をかける。

先週、そんな次男も風邪をひいてしまい、熱はなく元気だったが、鼻声だったので学校は、お休みさせた。

午前中、宿題。それが終わると、オンラインゲーム。

今、入っても、きっと皆、学校だから誰もいないよぉ。

ところが、なんと、なんと同じく風邪で学校をお休みしていた同級生、コロナでホームスクールを選択した友達を見つけて、皆でワイワイ、プレイしはじめた。

自分が子供の頃だったら、これって許されない光景だよなぁ。と思いながら、同時に少し微笑ましかった。

甘やかしと言われようが、なんと言われようが、子供が喜んでいる姿は、嬉しい。

しばらく皆で遊んでいると、今度は、もうひとり、友達のいとこが参加してきた。

友達のいとこ?

自分が知らない子どもが入ってくると、今だに、少し警戒してしまう。

子供とはいえ、会ったことがない人との交流。。。

お友達のいとこだからいいけど、会ったことがない人はねぇ。

ボイスチャットで話して、声が子供だってわからない。もしかしたら、なんかの機械で声を変えているかもしれないし。怪しい人かもしれないし。と、自分でもわけのわからない事を言ってみる。

しかしながら、同時に、こういった警戒心、言動は、子供の発信力、オンラインでのネットワーク作りの妨げだよなぁっとも思う。

会ったコトのない人との交流と会ったコトのある人との交流。

実は、あまり差がないのかもしれない。

会ったコトがあるからといって、安心出来るからというと、そうでなかったりするのも、世の中の現実。

こうやってブログを書いたり、他のSNSで発信していると、殆どが会ったコトのない人々との交流。

そして、そこには、たくさんの気付きがあるし、学びがある。

時には、その交流を通して、実際には、知り合うきっかけなど、ありえないだろうと思う業界の方々と、つながる事が、出来たりする事もある。

子供だからといって、制限するより、リスクを常に教えておくのが得策なのかもしれない。

暗黙のルールで、個人情報は、ゲーム上では、お互いに聞かないらしい。聞くと、かえって怪しまれるとか。。笑。

どこの親も、実は、同じ事を考えているのかもしれない。ふと思った。