海外生活の生きやすさと流行

海外生活の生きやすさって何ですかっと問われて流行が頭に浮かんだ。

流行を追わなくても全然OKだということ。流行がある意味マイノリティー。

日本に帰ると何故か外に出かける時ユニクロを来なければいけないプレッシャーを感じる。

これが海外では当たり前だからっと以前は気にしていなかったけど、大人になるにつれて、それが日本での生活というか、日本のマナーみたいに思えてきて、帰国の際は日本っぽい格好というものをするようになった。

今はネットですぐに日本の流行が検索出来るし、ユニクロが海外進出していてありがたい。

日本への里帰り一週間くらい前に、ユニクロ店舗に行って、あっ、これ全部くださいっとマネキンを指差してお手軽購入することもあり。気に入ったら、色違いで数着買って、帰国準備終了!笑

それが嫌だとか不快だとかは思わない。ある意味、面白いと思う。

しかしながら、同時に、これが日本でいう、生きにくさに、つながる考え方なのかもしれないと思った。

流行なんてコロコロ変わる。それに合わせて毎回、服をコーディネートするって、それが好きであれば、もちろん良いが、私は、昔から、あまり興味はなかった。

学校で、女子同士が集まって、ファッション雑誌を広げ、お互いにお気に入りのコーディネートを選ぶ。それが、休み時間の過ごし方だった。

ワイワイ会話を楽しみながら、これいいんじゃないっとかテキトーに自分も選んでいたけど、何か物足りなさを、いつもどこかで感じていた。携帯、インターネットの存在しない80年代。

子育てに関しても、もしかすると、日本には、流行みたいなものが存在するのかもしれない。

こういう子供を育てるべき、こういう育て方が理想。たまにそういう動画をネットで見かける。

育て方のアイディアとして、提案するのはいいけど、”べき”という言葉は、たまに人を追い込む事がある。

子供は、皆、違う。それぞれの子供にあった育て方が存在し、様々な教育方法を、それぞれの子供に合わせて、カスタマイズしていくのが、私は、理想だと思っている。

流行っていうのは、誰かが決めた提案。好きであれば、取り入れればいいし、気に入らなければ、取り入れる必要はない。

海外では、それが当たり前。だれも否定しないし、だれも流行遅れとか、ダサいとか言わない。

でも、私は、日本に帰国するたびに、その当たり前を通す事が出来ない。

いつか日本に帰国した際、その当たり前を通しても、全然大丈夫そうじゃんって、思える日が来るのかなぁ。

だけど、きっと私は、また、帰国前にユニクロを買うと思う。

来年の春には、里帰り出来るかなぁ。。

英語が話せるようになるには?

英語は、どうすれば話せますか?

よく聞かれる質問です。

90年代初期、ワタシの場合、英語は、勉強というより、ほぼ好きの延長でした。

洋楽が好きだったワタシは、当時、人気があったボーイズバンドの曲の歌詞を覚えて、何度も一緒に歌っていました。

テニス観戦が好きで、当時人気だったヨーロッパのテニス選手のインタビューの声を聞くのも好きでした。

実際に海外に出て、英語で話すキッカケが出来た時、常に心がけていたことがあります。

積極的に、沢山の人に、チャンスがあれば、自分から話しかけること。

話しかければ、話しかけるほど、次は、どうやって話しかけよう、質問にどうやって答えよう、何を聞こう、何を話そう。頭の中で、自分の考えが、まとまっていきます。

最初は、考えがまとまった後、そのアイディアを、日本語から英語に訳すとういう形でも構いません。

しかしながら、その行動を繰り返すうちに、自分の考え、価値観にピッタリの好きな英単語、好きな言葉が、増えていくのです。

好きな言葉が増えれば増えるほど、話したいことが増えてくる。自分の価値観が英語で語れるようになる。

インターネットがない時代は、これは、海外でないと、ほぼ不可能な行動でした。

話す相手に会うチャンス、キッカケがなかったからです。

しかしながら、今は、SNSというツールがあります。

一人に話しかけるという行動の代わりに、今は、SNSを使って、いつでも、どこからでも、常に、英語で、たくさんの人に、時によっては、大勢に、一挙に話しかけることが可能になったのです。

自分の好きな共通の趣味を持っている人、自分と同年代の人、同じ考えを持っている人、そんな人を、前もって選択して、話しかける事も可能です。

つながりが出来れば、ネットを使って話すことも出来ます。つながりが、難しければ、オンラインで、会話練習が出来るサービスもたくさんあります。

凄い時代だなぁって思います。

優雅な時間って何だろう

自分にとって優雅だと思える時間についてふと考えた。

あるお金持ちの方が、つぶやいていた。

お金は持っているけど、暮らしが優雅じゃないんだ。

贅沢と優雅は違う。限られた人生時間を優雅に使いたいんだよ。

その方の優雅だと思える時間は、私には、わからない。

でも、自分にとって、自分が、過去に優雅だなぁって感じた瞬間を思い出してみた。

私は、日々、一日の中で、常に、幸せだなって思う瞬間を見出すようにしている。

結局は、そういう幸せの瞬間の積み重ねが、優雅じゃないかなぁって、思えてきた。

昨日の幸せの瞬間は、子供達を学校からピックアップして、帰りに歩いた森林の小道。

秋晴れの、本当に、気持ちが良い午後だった。

子供達が、笑いながら、楽しそうに小道を歩いていく。

眩しい太陽が、スーッと森林の木々をすり抜けて、私達を照らす。

その瞬間、幸せだなぁ。優雅だなぁっと心から思った。すごく単純。。笑

その後、少しだけ、庭掃除をした。前日の強風で落ちた葉っぱを集めて、ヤードバッグに詰めていく。

夏の間、キラキラ輝いていた緑の葉が、秋色に変わり、そして地に落ちていく。それが、また、土へと代わり、新しい命を育む。

自然はいい。自分の心を、豊かにしてくれる。幸せにしてくれる。優雅にしてくれる。

気持ちが沈んでいる時でも、自然の中にいると、自分が、単なる自然の一部であって、周りで起こっている事は、どうでもよくて、すべてが大丈夫だと思えてくる。生きている。人生楽しもうっと思えてくる。

人生は、最大の暇つぶしっとも誰かが言っていた。

暇つぶしかぁ。。

優雅に過ごしたい。。。

ゲームのボイスチャットで思うこと

オンラインゲームがどんどん子供達の社交場になっている。

ゲームをしながら、ボイスチャットをオンにしておくと、他のゲームで遊んでいる友達が声をかけてくる。

なんのゲームしているの?

ユーチューブ見ているんだ。この動画、面白いよ。

こんなTIKTOK見つけた。

新しいゲームが入っている。ちょっとダウンロードして、一緒にやってみようよ。

コロナをきっかけに、我が家の次男も、友達と一緒に待ち合わせをして、ボイスチャットをしながら、ゲームを楽しむようになった。

会話の声を聞いているだけで面白い。まるで、その子供達が家に遊びに来ているようだ。

私もたまにボイスチャットに向かって声をかける。

先週、そんな次男も風邪をひいてしまい、熱はなく元気だったが、鼻声だったので学校は、お休みさせた。

午前中、宿題。それが終わると、オンラインゲーム。

今、入っても、きっと皆、学校だから誰もいないよぉ。

ところが、なんと、なんと同じく風邪で学校をお休みしていた同級生、コロナでホームスクールを選択した友達を見つけて、皆でワイワイ、プレイしはじめた。

自分が子供の頃だったら、これって許されない光景だよなぁ。と思いながら、同時に少し微笑ましかった。

甘やかしと言われようが、なんと言われようが、子供が喜んでいる姿は、嬉しい。

しばらく皆で遊んでいると、今度は、もうひとり、友達のいとこが参加してきた。

友達のいとこ?

自分が知らない子どもが入ってくると、今だに、少し警戒してしまう。

子供とはいえ、会ったことがない人との交流。。。

お友達のいとこだからいいけど、会ったことがない人はねぇ。

ボイスチャットで話して、声が子供だってわからない。もしかしたら、なんかの機械で声を変えているかもしれないし。怪しい人かもしれないし。と、自分でもわけのわからない事を言ってみる。

しかしながら、同時に、こういった警戒心、言動は、子供の発信力、オンラインでのネットワーク作りの妨げだよなぁっとも思う。

会ったコトのない人との交流と会ったコトのある人との交流。

実は、あまり差がないのかもしれない。

会ったコトがあるからといって、安心出来るからというと、そうでなかったりするのも、世の中の現実。

こうやってブログを書いたり、他のSNSで発信していると、殆どが会ったコトのない人々との交流。

そして、そこには、たくさんの気付きがあるし、学びがある。

時には、その交流を通して、実際には、知り合うきっかけなど、ありえないだろうと思う業界の方々と、つながる事が、出来たりする事もある。

子供だからといって、制限するより、リスクを常に教えておくのが得策なのかもしれない。

暗黙のルールで、個人情報は、ゲーム上では、お互いに聞かないらしい。聞くと、かえって怪しまれるとか。。笑。

どこの親も、実は、同じ事を考えているのかもしれない。ふと思った。

多様性について思う事

多様性を高めるとは、違和感を感じる場で、いかに自分が考え方をスイッチしてポジティブな方向に持っていけるかだと思います。

そして、それを学びの場と思えるようになる事。

自分と違う考えや違う人に接すると違和感を感じる事があります。

以前の私は、そういう雰囲気を好まず、避けてばかりいました。

違和感が続くと不快感が生じます。

不快に思う場所に、自分をわざわざ置いておく必要はない。

海外に住みはじめると、最初は、違和感だらけの生活です。

今まで慣れ親しんできた日本の生活、環境、風習、そして言葉。その全てが吹っ飛んで、自分を違和感だらけの環境になじませていかないといけないという挑戦が始まるのです。

当初、英語学校へ通い始めた頃、同じ日本から来た同級生達がよく言っていた言葉を思い出します。

こういうのって日本では、絶対ありえないよね。日本には、ないよね。

常に日本と現地の生活を比べていました。

私も、最初は合わせていました。

違和感だらけの海外生活に馴染む事で精一杯だった私は、言葉が通じる日本人の友人達が心のよりドコリ。

日本との比較比べは、心地よかったし、楽しかった。

少しずつ英語が話せるようになると、今度は、アジアやヨーロッパ、メキシコの同級生達が参加し、皆でつたない英語で、お互いのお国自慢。

違和感が少しずつ、楽しいもの、ワクワクするものへと変わっていったのです。

それと同時に、今までの自分の執着みたいな考え方が、こういう考え方もあるんだっという学びに変わって、いつの間にか、現地生活、日本比べがなくなっていました。

今、思うと、それが多様性なのかなって思います。

インターネットのおかげで、今は、多様性を身につけるって凄く簡単な事だと思います。

海外に出なくても、様々な国の生活や風習、考え方が学べる。

子育ても、いろいろな考え方を学ぶ事が出来ます。

自分の意見を発信すれば、その意見に対して、たくさんの人々がアドバイスをくれる。

どんな生活環境であろうが、どこに住んでいようが、多様性を身につける要素、刺激があちらこちらに転がっている。

毎日、学べる。

素晴らしい世界だなって思います。

昔の友達

昔の友達って私にとっては大切。

自分の過去を知っている友達と話す事で、自分を振り返る事が出来るし、今、自分が集中したいこと、未来にチャレンジしてみたいことが、なんとなく見えてくる。

90年代初期、海外留学した私に、ちょくちょく手紙をくれた同級生がいた。

私も、たくさん手紙を書いた。

当時は、インターネットなどなかったので、もちろん、Eメールなんて存在しない。

ポストに投稿して、日本に到着するまで、7日から10日かかったと思う。

たまに写真等が一緒に添えられていてワクワクしたのを覚えている。

こんな曲が流行っているんだよって、ラジオを録音したカセットテープをお互いに送ったこともあった。

今、思うと凄い時代だ。

数年前、帰郷した際、その同級生が、当時、自分が書いた手紙を見せてくれた。涙が出た。

私も彼女の手紙を今でも大切にしている。

今は、SNSが出来たおかげで、お互いの状況を瞬時に知ることが出来る。

手紙を書かなくても、投稿を見て、あぁ、元気にしているんだ。嬉しくなる。

ここ最近は、たくさんの昔の友達の投稿が見えて嬉しい。

お互いの子供達の写真を見て、わぁ、昔のあなたに、そっくりだねぇ。なんて、お互いにコメント出来るのは、お互いの昔を知っているから。

そんな瞬間、よくわからないけど、そういうつながりを持てる事って凄く幸せな事だなって思う。

しばらく会っていなくて、価値観が変わって、違和感を感じてしまう事もあるかもしれない。

違和感は、あってもいい。

お互いに受け入れて、お互いの人生をシェアして、お互いに認めて、がんばれ。それだけでいいと思う。

20年近く、話しもしていなかった、昔の友人が、SNSで自分を見つけてくれて、メッセージをおくってくれたりすると、わぁー、懐かしい!嬉しい!って思う。

今って、そんな事も可能にしてくれる時代。古いとか、新しいとか、どこに住んでいるとか、何をしているとか、区別なしに、どんどん、つながりを広げる事が出来る時代。

面白いなァって思う。

感謝は自分に力を与えてくれる魔法

自閉症児の子育てをしているとついつい周りに迷惑を欠けて申し訳ないっと思いがち。

日本人の特性なのかもしれません。

長男がまだ幼い頃、周りに迷惑をかけてはいけない。皆が静かにしている時は静かにさせなければいけない、問題行動を起こさせてはいけないっといつも気を使っていました。

今、思えば、その緊張感が、長男に伝わっていたのかもしれません。

長男が公共の場で、問題行動を起こすたびに、自分は、申し訳なくなって、すみませんっと、誤ってばかりいました。

何がきっかけだったのか、正直、覚えていません。

しかしながら、ある日、ふと思ったのです。

人って謝られるより、感謝される方がうれしいんじゃないかなって。。

明らかに迷惑だっと言われたら、もちろん謝ります。

でも、迷惑だと言われてもいないのに、勝手にこちらが、気を使って謝るのも、実は、相手にとっても気持ちの良い事ではないのかもしれないっとふと思ったのです。

常に感謝を意識して人に接するようになると、人からも喜ばれるし、周りに優しい人々が集まってくる。

どう説明して良いのかわかりませんが、自分に自信が付きます。

自分の人生が、とてつもなく素晴らしいモノに思えてくるのです。

これだけ感謝出来る事、人々に自分は恵まれている。

凄く幸せな事だ。

感謝って自分に力を与えてくれる魔法。

自閉症の長男が教えてくれた大きな学びの一つです。

感謝!

いじめ対策はいじめっ子も救う

いじめ対策っていじめられる側の親がまず気がついて行動を取ることが多いと思うのです。

子供が学校から帰ってきて、いじめられたと言われた時って、心が張り裂けるような気持ちになります。

いじめる側の言い分。

反応が面白いから、からかっただけ。

別にちょっとからかっただけだから、大したことない。

これが、幼い頃であれば、いじめている側の親も、子供を見ていますから、注意することが出来ます。

しかしながら、子供が大きくなるにつれて、まして子供が学校へ行き始めると、親が、すべてを見ることは、ほぼ不可能。自分の子供が、他の子供をいじめているという事があっても、気が付かずに過ごしてしまうことが度々あるのではないかなっと思います。

私がそうでした。

数年前の事です。

次男が小学校へ通い始めた時の事。

お友達が多く、毎日、楽しそうに、学校へ通う次男。

しかしながら、ある日、クラスメートのお母さんが、私に、テキストしてくれたのです。

自分の子供が、次男に、いじめられている。

めちゃくちゃショックでした。

自閉症の長男に、とっても優しい次男が、まさかクラスメートをいじめている?

親としては、信じたくない事実です。

しかしながら、自分がどう思っていようと、火のないところに煙は立ちません。

まず、私は、探りを入れました。

クラスは、どう?どんなお友達と遊んでいるの?

次男は、淡々と仲の良いお友達の話しをはじめました。

いじめているというクラスメートの話は、出てきません。

B君って知っている?

私は、その子の名前を持ち出しました。

知っているよ。

面白いんだ。こうこう言うと、こんな事して、こんな反応するんだ。

悪気もなく、ニコニコして話しています。

でもさ、自分が言われたらどう思う?楽しいと思う?B君も楽しかったと思う?

だけど、B君も笑っていたよ。楽しそうだったよ。

自分が同じことされたら、笑う?

次男は、ふと考えて、言いました。そうだね。僕だったら怒るな。やめろって言う。

そうでしょ。自分が言われてイヤな事は、人に言わない。自分がされてイヤな事は、人にもしない。明日、B君と、ちゃんと話しするんだよ。なんだったら、B君、放課後、遊びに誘ったら?

次の日、B君が、我が家に遊びに来ました。

B君と楽しそうに遊ぶ次男。

B君が帰宅の際、お母さんにも、そっとですが、教えてくれてありがとうっと感謝しました。

親の共通の願いって、自分の子供が幸せに育つことだと思うのです。

自分の子供が、いじめっ子に育ってほしいっなんて、願う親はいないと思います。

私は、今でも、勇気を持ってテキストをくれたB君のお母さんに感謝しています。

ベーシックインカムについて

現在のワタシは、ベーシックインカム受給者みたいなものです。

その体験談をシェアしたいなってふと思いました。

ホームステイプログラムのビジネスを経営していたワタシは、コロナの影響でビジネス契約のすべてを失ってしまいました。

ありがたいことに、カナダでは、コロナ緊急助成制度というものが発行され、4月から月額決まった助成金を受け取る事が出来るようになりました。

ビジネスで得られる収益に比べたら少ない金額ですが、暮らしていけるには十分な金額です。

最初はショックでした。

自分が今まで努力して築き上げてきたものが一挙に崩れ去ってしまったのです。

でも落ち込んでいても何も変わらない。

助成金という形で自分は皆にさせてもらっている。

何か自分に出来る事をしよう。

自分のビジネスサイトにブログを付け加えるところからはじまり、様々なSNSを通して、発信することにチャレンジしました。

発信をしていると、今まで忙しい日々で見えていなかった自分自身が見えてきて、自分の経験談をまとめた本を執筆してみたくなりました。

夏に執筆活動を始め、8月にキンドルで電子書籍を出版する事が出来ました。

自分で執筆して出版出来る時代なんです。凄い時代だと思います。

出版の後、応援してくださる方々がたくさんいて、先日、GOODREADS.COM というサイトで書籍AUTORとしてページを設けることも出来ました。

https://www.goodreads.com/book/show/54839883-jiheishoji-positive-kosodate

人生ってわからないです。

ベーシックインカムで人間が脱落するという懸念もあるようですが、考え方を変えると、様々なライフスタイルが実現できる大きなステップになるような気もします。

贅沢は出来ないけど、好きな事に没頭出来る。

まだまだ模索中の日々ですが、自分がワクワクすると思う一面を磨いて社会貢献出来るレベルまでになれたらいい。

もちろん、ビジネスも新しい時代に合わせて、復活させる事が出来たら良いなっと思う日々です。

Parent Participation Preschool

以前、自閉症の子育ては親に力をっというツイートをしたところ、たくさんの方々が共感してくれました。

このツイートの後に、母親としての私に、当時、何が一番、力を与えてくれましたかっとコメントを頂いた際、要因はたくさんありますが、長男が小学校に入学する前に通っていたプレスクールの事が頭に浮かびました。

こちらでは、PPP(Parent Participation Preschool ) と呼ばれていますが、日本では、保護者参加型保育園と呼ばれているようです。

長男が通った保護者参加型保育園を紹介したいと思います。

といっても、長男が卒業してから、6年近くになるので、記憶が少し吹っ飛んでいます。

しかしながら、今の時代って何でもネットで検索出来てしまう。

長男が通ったこのプレスクールにも素晴らしいサイトが出来ていました。

https://www.shppp.org/

開園したのは、なんと1965年!歴史があります。

長男が通っていた時も、親御さん達の中には、このプレスクールに自分が通ったという親御さんもいて、ボランティアを一緒にしながら、凄いなぁっと思ったことがあります。

ボランティア、そうです。この保育園、親が交代で、ボランティアをするのです。

ボランティアは、月に2回。クラスで他の親2名と共に、先生の支持に従って、子供達の世話をします。

工作を一緒にしたり、歌を一緒に歌ったり、本を読んであげたり、おやつも、他の親達と事前に相談して、クラス全体分、持参します。親によって持ってくるおやつが違っていて、あるお父さんは、いつも自分が作ったバナナブレッドをもってくるのですが、それが好評で、微笑ましかったです。私は、ソーセージとクラッカーが多かったかな。笑

クラスの後片付けと掃除もボランティアの親達が行います。

先生は、子供達を迎えに来た親達の相談にのったり、次のクラスの準備をしたりしていたと思います。

クラス内のボランティアの他に、様々な役割分担もありました。

私が最初の年に参加したグループは、ソーシャルファンディング。

プレスクールの資金を集めるため、様々な企画をするグループです。この時期、サンクスギビングには、ターキーディナーくじみたいなのを販売して、当たった人には、ターキーディナーを家にお届けしますっなんて企画も行っていました。

当選した家にお届けするディナーを用意するのは、もちろんソーシャルファンディンググループの親達。

私は、りんご入りターキースタフッィングを作って持っていった記憶があります。

いろいろと楽しい企画はありましたが、中でも、力作は、毎年行われるソーシャルファンディングナイト。

テーマを決めて、チケットを販売し、チケット購入した親たちが、それに合わせてドレスアップ。楽しい一時を過ごします。日本の文化祭にも近いですが、かなり本格的。ゴルフ場を借りて行ったりしていました。サイレントオークションもあり、かなりの資金が集まっていたと思います。

一年目は、カウボーイ。2年目は、カジノだったかなぁ。とにかく楽しかった。良い想い出です。

長男と次男、二人共、このプレスクールに通ったので、合計4年間、我が家は、このプレスクールで、ボランティアをしました。

保育園にここまで親が時間を作るってかなりのコミットメントです。

でも、このプレスクールを通して学んだことは、偉大です。親として、自信が持てるようになったのは、このプレスクールのおかげといっても過言ではありません。

ボランティアしながら、先生方から、たくさん学ばせてもらいましたし、他の親御さん、子供さん達からも、たくさんの刺激や気付きをもらいました。

子供達が大きくなって、少しずつ自立し始めた今、あの時、あのプレスクールに通っていたから、自分は一生懸命だったし、良い子育てが出来たなぁって心から思えるのです。

感謝!